自家採種ということ

作物の世界は来年の準備に
作物の世界は来年の準備に

 大玉ニンニクに次いで、昨日はスナップエンドウも今季これが出荷最後でした宣言が出された。

たいていは何ら前振りもない。何気に問い合わせると、こともなげに「種採りのため前回が最後でした」とそっけなく残酷な一言を告げてくる。

 そう。作物は種からできる。種がないとできない。だから種を生産者はせっせと採取してきた。

来年、さらに次の年へと種をつなぐことなしには、農業も食べる行為も成り立たないのは道理。

 ところが、種どころか、苗さえ購入してただ生育させて売りに徹する生産者も多いと聞きます。

となると、ホームセンターで買った苗で家庭菜園を愛好する素人とどこが違うのか、と考えさせられてしまう。

 勘兵衛が取引きしていただく生産者は、種採りから始めるところが多いです。だから、すべてが自分の裁量。どの株から採取するか、どれなら繁殖に向いているか、そういした肝心要の勘所を見測り先の先を読んでいく裁量に農業の醍醐味を見いだせる才人は、他人のわけのわからない目測と目盛りにピンとを合わせることを良しとはできないものだ。

 だから、これぞと目星をつけた作物の種だけは他人には渡さない。他人(他社)の介入も思惑も入る余地を与えない、ここから創造がはじまる。

 それでいて、白々と告げてくる。

「もう種採りですから、前回で終わりでした」と。

こうして、美味い作物は脈々と伝えられ、伝統となる。それだけだ。

 

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